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2020.12.7 BLOG

父の病気で知ったこと、考えたこと

元気な父が病気に

母の自宅介護生活は、ケアプランに則って、順調に始まってます。
一方、父ですが、予後の悪い悪性リンパ腫との結果が先日出て、今現在、抗がん剤治療の全6回の内2クール目に入ったばかりです。
母の薬によるせん妄状態の騒動が今年のお盆の頃で、その時の父はいつも通り元気な様子でした。
その後程なくして、咳が始まり、なかなか咳が良くならないね、どうしたんだろうね、と私も母も呑気に構えていました。
元々父は、退職後は朝食も率先して母の分まで作り、一日最低でも7000歩歩くことを心掛け、健康管理も含め主体的に自分で考えて行うしっかりした人でした。家系的にも長命だったので、風邪が長引いているのかなぁくらいに私も母も思っていました。健康でしっかりしてて、長生きの家系で、この人は病気とも無縁で長生きするのだろうと思い込んでいたのです。

咳はずっと続き、最初は肺がんの疑いから呼吸器内科にまず入院しました。入院前の診察では、この肺の状態で肺がんならば余命4ヶ月くらい、と最初に直ぐ言われました。結果的には、肺がんではなく悪性リンパ腫が濃厚となり、血液内科に移り、詳しい検査の結果、予後の悪いウィルス性の悪性リンパ腫と診断されました。この診断と今後のことについての説明が担当医よりあったのが、11月2日。そして今、抗がん剤治療の2クール目ですから、お盆の頃には元気だった父が、夏が終わってから急激に具合が悪くなったというのが率直な印象です。

病名はありのまま本人に伝えられました。あっさりと伝えられたことに驚きつつも、今はこういう感じなんだと実感しました。少し前までガンの告知は大議論になっていたのであれは何だったんだろうかと思ってしまいました。でも、それくらい今はガンは普通なことなんだなと実感しました。病名を含め、検査の結果を知ることはごく自然な流れに感じられ、私自身もその場で違和感は全くありませんでした。

緩和ケアか治療か

父の担当医は、「年齢が年齢(83歳)なので、原因が何であるかと特定できるもの(若いときにヘビースモーカーだったなど)ではなく、はっきり言うと、老化です。このまま過酷な治療をせずに緩和ケアをして、残された時間を家族と共に穏やかに過ごし、自然の死を迎えるのも選択肢としてあります。もちろんご本人の意思、そしてご家族のサポートのもと抗がん剤治療をする、という選択肢もあります。治療をして死期が早まるということもあれば、良くなることもありますが、どちらに転ぶかは分かりません。予後は悪いタイプのウィルス性の悪性リンパ腫です。」と。
先生は、状態の映像をプリントしたもの、病名、治療(するとしたらの)方針を計2枚ほどにまとめて家族に提供してくださり、とても分かり易い説明でした。
丁寧な説明により、自分なりに父の病気を理解することができ、自分なりの解釈ですが、父のウィルス性悪性リンパ腫について、「老化により免疫バランスが崩れ、今まで大人しくしていたウィルスが悪さを始めた。」と理解しました。
また、80代になり平均寿命も超えると、今後についての選択肢には緩和ケアが十分な説得力をもって提示されることを知りました。

言われてみれば、父は男性の平均寿命を超えてるわけですから、老化がここにきて急に進み、このまま自然な死を迎えるのを受け入れる、という選択肢が挙げられるのは自然なことなのかもしれません。

 

余命の告知

そして、余命についても説明がありました。抗がん剤治療をしても7割の人が平均余命10か月、3割の人が良くなっている、父がどちらに転ぶかは分かりません、とのことでした。

この余命の告知は、医師により対応は違うようです。父の担当医は、父が病室に戻るために席を立ってから、家族にだけ余命についてお話をされました。そして、「余命をお父様に伝えるか否かは家族で話し合ってください。」とお話され、担当の看護師さんも、「今、前向きに頑張って過ごされてるので、言うのがいいのかはわかりません。」とのことでした。

父は病院でも体力が落ちないように千歩、三千歩と歩数を伸ばし頑張っていたようなので、それを見ての看護師さんの言葉だったのだと思います。

 

家族で話し合い

病院からの帰宅後、母、姉、私で話し合うことははっきりしていました。

緩和ケアを選択するのか、治療を選択するのか、そして、本人に余命を知らせるのか否か。

1点目ははっきりしていました。「緩和ケアではなく、治療をする。」と。父から「受けられる治療は全て受けたい。」「自分の父親の年齢(93歳)くらいは生きたいし、生きられると思っている。」と何度も聞いていました。そして、本人の性格ないし性質から、本人は積極的なほうを選択すると皆が思いました。実際の父の意思も従前と変わりなく、受けられる治療は受ける、という意思でした。

次に余命の告知に関してですが、私達は、敢えてこちらから今伝えることはせず、自然な成り行きでいこうということになりました。平均のデータなのだから、父に完全に当てはまるとも言えない。それを今わざわざ言う積極的理由がないと考えました。
自然に任せて本人に聞かれれば答えるし、聞かれなければそれでいいということになりました。

 

担当医から父へ

実際は、この2クール目の投与の後の退院の際に、先生が父本人に余命について知りたいかお尋ねになり、父は少し考えたのち、聞きたいとの意思を伝え、先生から直接伝えられたそうです。「あくまで平均値です。当てはまるとは限りません。」という言葉を先生は添えられたそうです。

父の先生への信頼感が日に日に増しているのを感じていましたので、患者と医師の当事者同士の関係性の中での自然の流れだったのだと私は思っています。そして、あくまで平均値です、という言葉には優しさが感じられました。

 

今回のことから

今回、学んだことが幾つかありました。かなりきつい状態でも生きるという情熱を失わない強さを父に感じました。その強い意思が、先生と看護師さんにも伝わり、いい信頼関係が築けていっているのを感じました。

父がはっきりした意思を持っていたことは、サポートする側もある意味で楽でした。
本人が納得するように本人の意思に沿ってサポートすればいいからです。こちらが思い悩まずに済みます。

正直、どの選択が正しいのかは分かりません。だから、本人が満足して生ききればいい、本人の意思に沿ってサポートすればいい、と自然と方針が明らかになるので助かりました。

また、今回のことで、平均寿命も超えると医療側からは、治療の他に緩和ケアの提案もされることも体験しました。これは、受け手側の患者の性質によりかなり違和感がある場合もあると思います。私は個人的には非常に違和感がありました。父にとっての自分の寿命は、データ上の平均寿命とはかなり乖離している、と知っていたからです。しかし、客観的には緩和ケアが提示される年齢であったということです。仕方のないことだと思います。

また、入院中の父とのやり取りは、コロナ禍ですので、全てメールでした。
文章というのは面白いです。体調の良し悪しがはっきりと文面に現れるのです。体調の良いときは理路整然、悪いときは意味不明の文章になっていました。

また、排便が気になるときは内容も排便のことばかり。余裕が出ると、母の心配、家の庭の心配など話題が他者へと向かいます。

高齢者にとって、排便は一大テーマなんだと今回のことで知りました。知ってからは、仕事で施設を訪問した際は、その施設のケア方針に目を通すようになりました。
例えば、自力支援の介護施設では、排便は、3日以内に一回の自然排便が掲げられています。
食べて運動して出す、というのは自立の基本だと理解することができます。

コロナ禍でお見舞いに行けない現状ですが、メールの文章から本人の体調はかなり推測できました。高齢者の方は、せめてメールだけでも使えるといざというときには本当に家族も助かります。メールは打てるよう繰り返し繰り返しサポートするといいのではないかと思います。

今回は父の入院から感じたことを書いてみました。九段南行政書士事務所